2000
7/31 数えてみたら、今月は今日をふくめて19回しか日記を書いていない。昨日は不慮のサーバ落ちで更新できずだが。こうして数字ではっきり示されると、なんだか情けなくなるような細かい神経はしていないので安心していただきたい。 昨日は地元のお祭りへ出かけた。思うのだが、このマツリのエネルギーはいつもどこに隠れているんだろう。これだけのものを実行するにはそれなりの準備が必要だと思うのだけど、その準備を見たことがない。ぼくと同世代の人間が多くいて、神輿を担いでいたりする。どこでどうやって運営に携わることになったのか。興味は尽きません。 なんにせよ祭は楽しい。人ごみはひとを熱狂させる。
7/27 驚きなのは、こういうことを臆面もなく書ける厚顔無恥さ。疲れてるなー。というわけで昨日の日記は無視でよろしく。阿呆には付き合ってられません。 クーラー買ったり Win2000買ったり マック貰ったり。最近はそんな感じです。あと桑田乃梨子良いです。 土曜の午前はカリオストロの城を見よう。 ぶもー。
7/26 と思ったら今日も眠い。 自分が好きであるほど相手は自分のことを好きでない、ということを知るのはつらいことです。しかしながら2人以上の人間関係において、これはどうしても、どちらか一方に起こることです。そうでもないか? 少なくとも私はそうなので、結構つらい思いをすることが多い。ただ、好きであることの量など測れはしないので、大抵は勝手に考えているだけなんですが。 しかしまあ結局、無限に愛がほしいのかと言われればそうでもない。都合のいいときに都合のよい愛が欲しいだけの、ただの子供の身勝手です。 せめて身勝手に応えられるひとになろうと思いますが、これもなかなか難しい。いやはや。はやく大人になりたいです。
7/25 久方振りでございます。明日あたりから普通に更新再開できそうです。今日はもう眠いのでダウンで……。 今日のどうでもいい知識。沖縄方言で 「シティホーリー」 は「ほおっておく」という意味らしいぞう。
7/20 正しさを追求することにあまり意味を見出せない。なぜなら誰にもそれが正しいことが分からないと思うからだ。公共性の感覚も時と場によって変わる。各々の状況によっても変わる。人によって変わる。極端に言えば、「正しさ」などいくらでもある。したがってどちらが正しいか決めることにさほどの意味はない。 ただ、上手く行くように物事を進める力は必要だ。どう進めていくのか話すこと。それにあたって大事なのは、じぶんの中の「正しさ」を変える勇気をもつことだと思う。
ちょっと話は飛ぶが。 人は結局社会の中で、公共の利益のために生きている。決して自分だけのためではない。望む・望まないといったレベルの問題ではなく、である。社会から外れて孤立するのは自由だが、ほんとうに孤立することなどできはしないのだ。
……というのは常識だと思っていたんですがね。どうも違うようです。当てにならないぼくの公共性の感覚。
7/19 なんかカウンタが戻っている気が……気のせいですか。 どうもぼくには成功願望があるようだと指摘された。自分でも分かってはいる。願望だけなら多かれ少なかれ誰にもあるだろうと思うが、ぼくの場合努力が嫌いなので話にならない。いや、嫌いというかムラがあるのでダメだ。 そもそもぼくの成功願望は非常に特殊なので、一般の人とは比較ができない。具体的に言うと次のようなビジョンだ。 まず朝は5時に起床。洗顔、歯磨きを済ませ朝の稽古に入る。この仕事、体は資本である。6時になると女中に食事の指示をし、自分は朝の読書。きっかり7時にぼっちゃまを起こしに向かう。 8時に登校するぼっちゃまを車で送迎する。そういえば今日は授業参観日ではなかったか。家を出られない旦那様の代わりに自分が出席することになる。授業ではぼっちゃまの頭のよさに感激。涙を流しながら一生ついて行きますぞと決心を新たにする。もちろん周りの奥様方からは冷たい視線が注がれる。 屋敷に帰るとしばらく自由時間である。昨年の誕生日にぼっちゃまから頂戴した…… もういいですね。
7/18 ふとしたことで SOTEC のサポートセンターに電話をすることになるが、あまりの対応の酷さに気分が悪くなる。2度電話して、ようやく相手の言いたいことが分かってきた。 要するに修理をしたくないか、できないのだ。そうではないかもしれないがそう解釈するしかない。そう思わせるような対応しかしないのだから。 サポートセンターの対応の悪さについてはよく聞く話だが、あれは客側に問題がある場合がほとんどだろうと思っていた。果たして今回はどうか? 話のポイントを故意にずらし、歪め、なんとか都合の良いようにしむけようとしているのが分かるので、こちらも辛くなる。この人も上には逆らえないのだろう。せめて、だますならもっと上手くやって欲しいのだが……。 辛いだろうとは思うが同情はできない。プライドはないのか。そんなごまかしの職場で働いていることに対する、だ。
7/17 グインサーガを読もうかと思っている。先日、友人が読みはじめたという話を聞いて、頑張れば今からでも読めるかと思ったのがきっかけである。その友人いわく、 「きっとナリス陛下を気に入ると思いますよ」 なるほど。覚えておきます。……と思った今日。その人の運営するWebサイトの掲示板を見たのですがこんな記述が。 ナリスとリンダは嫌いですねー、むかつきー ちょっと待て。これはどういう意味なのだ。ぼくはナリス陛下を気に入るだろうと言っておきながら自分は嫌いとは。さらに翌日にはこんな書き込みまである。 今思うことは。滅びろナリス&リンダ! 滅びろ。ぼくの気に入るであろうキャラは滅びろ、ですか。もしや婉曲な絶交宣言ですか。 しかしちょっと待て。なるべく好意的に解釈するのが人間関係のコツというではないか。ポジティブに考えるならこういうことになる。 1.ぼくはナリスを気に入るであろう 2.しかしてこの友人はぼくを気に入っている 3.よってナリスはなんとなく気に食わない 4.滅びろナリス
こんな自分が不憫です。
7/16 暑いのでクーラーが欲しい。何軒か電気店を回ってみた。意外と値段が違うものだと思った。 何人かの店員と話していて思ったのだが、ぼくなりに考える上手いセールスとは、客に言い訳を用意させることだと思う。やれ環境に良いだの、省エネだの。「なるほど、ぼくが散財してしまうのも地球環境のためなのだ」 とか思わせる営業の妙技。 そんなのが効果的なのはぼくだけか。
7/15 雪印に続き他社の牛乳まで危険だそうで。今日は某清涼飲料水の異臭さわぎまであったそうです。 まったくの予想ですが、(雪印はともかく)この程度のさわぎなら毎年あることなんではないでしょうか。ただマスコミが追いかけているから露出するだけの話だと思います。 それはともかく、マスコミが皆 流行を追いかけるのはなぜなんでしょうか。せめて一社くらい、自分のスタンスでニュースの対象を選んで欲しいと思うのですが。 どうも相手を意識しすぎるとお互い似てくる気がします。いや、似てるからこそ相手を意識するのか。
7/13 人間あまり寝なくても大丈夫だと思うのだが、どこかで歪みが生じているのだろう。気付かないうちに周囲に悪い影響を及ぼしていないよう祈るばかり。
7/12 職場の近くに大衆食堂の店がある。この店の看板が妙である。 「どこにも負けません! 自家製ハンバーグ」 ところが店のメニューにはハンバーグなどないのだ。 あるのは普通の飲み屋メニュー。このメニューのコストパフォーマンスが非常に ……いや、それは今どうでもいい。 ヘンな店だなあと思っていたのだが、今日新しい事実に気がついた。 ハンバーグの看板には「ハトヤ」、店の前には「はとや」と 書いてあるのである。つまりハンバーグを出すのはハトヤであって はとやではないのだ。 ではハトヤはどこにあるのか。私は、はとやはハトヤを隠すための カモフラージュの役割を果たしているのではないかと思う。 次に「はとや」に言った時、さぐりを入れてみようと思う。 恐らく以下のようなやりとりが交わされるはずだ。 「ここってハンバーグおいてないんですか?」 そしてぼくはついに店の地下に隠された非合法組織「ハトヤ」川崎地区本部へ案内され(以下次号)
7/11 疲れが取れない。疲れが取れないのは寝ていないせいだ。なぜ寝ていないかというと、墓穴を掘りそうなので言いたくない。いろいろ忙しいとだけ言っておこう。 オリジン弁当が最近お気に入りである。安くて美味い。オリジン弁当。起源。原初。原初の弁当。アミノ酸スープとか。出したら流行るだろうか。 わけの分からない想像をしていてふと思ったが、そういうとんでもない決断が出来る人はどこかにいないものか。「やっぱアミノ酸でしょ、アミノ酸!」 いないか。 自分で書いていてもわけがわからない。
7/10 最近どうも疲れている。いかんなあ。 昼食を食べたお店で、ひどくいかめしい顔つきの夫婦を見た。それこそ一日中殴り合いの喧嘩でもしていそうな雰囲気。あまりにも分かりやすいのでちょっと薄ら寒くなった。 いや、もちろん実際どうかは分からないのだが、何か確信に近いようなものがある。人前で悪意を垂れ流すのに慣れていないと、なかなかああいう表情をつくることはできないだろう。人様の顔をみてヒドイこと言うもんだと思いますが、実際見たら納得されるんではないかと思います。顔のつくりがどうこういうんではなくて、表情が悪意そのものなのです。少なくとも自分が周囲の環境にどういう影響を与えるのかという意識はできていない感じ。 興味深いのは2人の表情・しぐさがそっくりだったこと。一緒に暮らしていて似てきたのか、元から気が合ったのかは謎です。前者だとしたらぼくに出来ることは何でしょうか。環境が人をつくるとしたら。
7/8 ぼくの部屋は中二階で玄関のすぐ隣にある。北と東に窓があり非常に風通しは悪い。暑いのでクーラーを買おうと思っている(実は今まで無かったんです)。しかし、風通しどころではない欠点があるのだ。 「それでですね、宅の主人が……(大音響)」 ”宅の” という表現がいまだに使われているとは驚きである。じゃなくて。玄関先の会話が筒抜けなのである。休日ともなれば自治会のおばさんが朝から大声で会話をする。そんなに主張しなくてもみんな聞いてると思いますが。ぼく眠いんですが。 仕方がないので玄関先に出て行く。「あの、大変申し上げにくいのですが、昨日からひどい風邪を引いておりまして……ええ、熱が引いたとはいえまだ38℃ありますし。大事をとって静かに寝たいと思っているんですよ。おしゃべりを楽しみたい気持ちも十二分に理解できるのですが、もう少し小さな声でおやりになるか、別の場所でお願いしたいのですが……」 気まずそうな顔で去るおばさんたち。その後、家族と近所付き合いのことで大議論になる。 途中からウソです。
7/7 スケールが小さいといえば ししゃも とかでしょうか。
7/6 ややや。もうこんな時間であるな。 量をこなせる人が非常にうらやましい。ぼくは何事もスケールが小さいのだ。たとえば文章なら、ばーっと数千字を書ける人がいるが、ぼくにはあれができない。内容はともかくとしても、量をこなせれば あとは推敲するだけじゃないかと思うのですが。原因としては、小心すぎるのがまずいんだと思うが如何。 というわけで今日からはビッグな男を目指してみようと思います。 うおー。モツ鍋ー。マグロ一本釣りー。
ますますスケールの小ささが露呈する構図。
7/5 ファミリーマートに生乳アイスクリームというのがあるが、生乳ってどう読むんだろう。ナマニュー。にゅう。違う気がする。意表をついて「キチチ」とかか。食べると頭が愉快になるアイスクリーム。 友人2名と渋谷でお食事。舌郷というお店だが、読み方は「ベロキョー」。ベロですか。 このように漢字の読み方は一見しただけではわかりにくいもの。日本語文化とはかくも非効率的なのである。だが非効率ゆえにユーモアの材料として使えることもある。
キヤの奇妙なヒキ。小さく前へならえの姿勢で眼球を素早く回転させながら 「そ、それはちょっと……」と苦笑いを浮かべる。 あんまりおもしろくないな。
7/3 低公害車という表示はいかがなものか。低い公害。緩慢な自殺 とかと似たようなものか。違うか。 しばらく日記をサボっておりましたが決して Diablo2 をやっていたからではありません。 語るに落ちるとはこのことか。違うか。
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